先日、Jean Michel Folonというアーティストのギャラリーに行ってきました。東京ステーションギャラリーだったのですが、丸の内の改札の上にある、このギャラリー、駅の再開発として本当に素晴らしいと思いました。先日、韓国ソウルで昔の東京駅を同じ建物を見ました。私の母は、戦争時代の京城(韓国)で生まれた、いわゆる引き揚げ者ですので、日本人が建設したソウル駅近くにある東京駅と同じような建物の話は聞いていました。個人的には他国に、自分たちのアイデンティティーのようなものを残すことは、全く賛成しません。ですが、東京駅は何かしらの意味で日本のシンボルになってきたことは確かです。しかもその東京駅の再開発に関わった方も多少ながら存じ上げているのですが、改札の上のギャラリー、このコンセプトは素敵です!
さて、このJean Michel Folonrというアーティストですが、私は今日の今日まで全く知りませんでした。様々な媒体でのビジュアルアートで、素敵なものがたくさんありましたし、感じることがたくさんありました。
このギャラリーは比較的小さい規模で、場所によってはお客さんが渋滞するような感じで回りました。その渋滞で非常に面白いなあと思ったことは、お客さんの足が最も長く止まっているのは、彼の作品より、壁に掲示されている、Jean Michel Folonに関する記述とかプロフィールとかだったことです。私は、自分がアーティストという理由もあるかもしれませんが、作者のことだとか、作品のタイトルとかをほとんど見ません。
自分がその作品を見た瞬間の気持ちを大切にしたいからです。
ジャズの巨匠であるハービーハンコックという人が書いていたのですが、「最近、音楽を聴く人はその作品がどんな作品かということより、誰がそれを創ったか、演奏したか、の方を大切に思っているように感じる」、、多分、「最近」と言っているのは、昔は音楽をコンサートホールやライブ会場に聴きに行くことが唯一本当に音楽を感じる方法だったけれど、今の時代は、Youtubeでもネットの配信でも、いつでも音楽を聴けますし、世界のどこにもすぐアクセスが可能な時代、と言う意味あいも含まれているのかなと思います。
作品を創る立場から書くと、、、私たちは自分のイメージでなにかを創ります。ですので、難しいことよりそれを聞いたりみたりして自然に何かを感じてほしいわけです。
時々、ジャズを聴くお客さんから、「いやー、まだ勉強不足ですみません」というコメントをいただくことがあります。
そういう時はいつでも、「勉強は全く必要ありません。感じたものだけで十分です。音楽は自由ですから自由に聴いて自由に感じてください」と答えます。
その通りなんです、、
なのですが、私自身も、昔ジャズを聴き始めた時は、これは誰が演奏してるんだろう、どんな人なんだろう、、というのを思いましたし、そういう記述も読みましたし、それも自然な感覚ですよね。
理屈だけから言うと、確かにアートってそのまま感じてもらうものだと思います。それが最高のアートの享受の仕方なのだと思います。
でも、作品を創って、それをそのまま感じてくださいと言うのは、もしかしてアーティストのエゴなのかもしれないかなとも、同時に感じます。
でも、だからと言って、予備知識満載で何かを聴いたり見たりするのも、ちょっと違う気がします。それは、もう感覚ではなく知識になってしまいますから。
もしかして、この辺のことを解決するクリエイティビティーが今の時代のアーティストに求められているのかもしれません。