ざわわ

昔、越智順子というとても素晴らしいヴォーカリストとよく演奏していました。彼女がある時、ざわわで有名な「さとうきび畑」という歌を歌うようになり、デュエットで何回も演奏しました。もちろん反戦の歌ですからリスナーも共感してくれて、演奏にも力がいつも入りました。ですが、どうしても気になっていたことがありました、、歌詞の一部に「戦が海からやってきた」という一節があるのです。これは沖縄の歌ですので沖縄の人が「海からやってきた」と思うことは当然で、何も否定しません。ですが、世界的に見た時に、現実はどうだったでしょう?満州事変で中国での支配権を握ったのは日本ですし、韓国を占領したのも日本です。もちろん、その背景には様々な政治的背景があったと思いますし、最終的に原爆で言葉に尽くし難い痛手を負ったのも日本ですし、日本が受けた傷跡から戦争の悲惨さを感じることは大切です。ですが、日本は必ずしも被害者ではないのです。南京での大虐殺ほか数々の日本人の残虐は行為は、昭和の時代の私の学校の先生も今の学校の先生も伝えていないことの方が多いと思います。今でも帰国に残っていますが、歴史の授業では第二次世界大戦の部分は授業で非常に早く過ぎ去りました、、。私の祖父は新聞記者で京城にいましたし、母はその占領下の韓国生まれですので、子供の頃から戦時中の差別の話しを多く聞いていたからかもしれません、、また、アメリカの大学で教えていた時に多くのアジア人の生徒がいて、韓国、東南アジアの学生たちと戦争の話しを色々したからかもしれません、、それとも、今の大学での多くの中国人の前でも南京虐殺のことは100%認めるスタンスで学生と接して色々話しているからか、、はたまた、フィリピンで戦後、日本人の軍人を一番多く赦免したキリノ大統領の孫と知り合いになった(彼はジャズピアニスト)か、、、なんだかわかりませんが、、

私が何よりも強く思うのは、「被害者意識からだけの平和への祈りは通じません!」

被害者であり、加害者であり、それを全て認めた上でなければ真の平和への願いは成立しません。

先日テレビで終戦記念日向けの放送で、「アメリカ軍の無差別攻撃」というワードが聞こえました。無差別?もちろん一般市民を狙ったという意味では無差別だったと思います。ですが、京都や金沢という文化の中心を爆撃から避けるという判断をしたアメリカ(だからと言ってアメリカ人が聖人ではなく、アメリカ軍は火炎放射器で日本兵を焼き殺しました)と、中国人を丸太と呼んで人体実験をした日本人を比較できるでしょうか?また、占領下の韓国で、韓国のアイデンティティーを持たせないために、韓国の古代の遺跡を爆破した日本人をどう比べられるでしょうか?この点だけは、日本人の被害者意識を煽る(結果的に)日本のメディアは醜いと思います。

終戦記念日が近い今言いたいことは、、

戦争について、すべての国が被害者と加害者の両方の部分を認めない限り、平和の願う気持ちは無意味だということです。

被害者意識だけから平和を願うのは、都合が良すぎますし、その考え方は必ず将来別の敵を作ります。

そして、最初に書いた越智順子ですが、、

ある時彼女に電話して、上に書いたことを説明して「俺はもうあの曲はやらない」と言いました。彼女は快く納得してくれて、

それ以来、「ざわわやらないの?」というお客さんには、「ざわわは今日はお休みです」と言ってくれるようになりました。

本当に素敵なミュージシャン、音楽仲間でした。彼女は10数年前に若くして病気で亡くなりました。

ですが音楽はいつまでも残っていきますから、彼女の歌声をぜひ一度聴いていただけると嬉しいです!

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